はまだ豆ヂカラ社会保険労務士法人 代表の濱田誠です。

大手社会保険労務士事務所に6年勤務したのち独立しました。年金アドバイザーの資格も保有しています。

独立後は、社会保険労務士としての経験に基づき、中小企業に対する労務管理、給与計算、就業規則作成などの業務を提供しております。

一方で個人社長、経営者の方の経営相談業務も依頼されるなど、地域密着型のきめ細かなサポートを展開しております。

千葉県柏市育ち、柏市在住。地元をこよなく愛す誇り高き柏っ子。

濱田社会保険労務士事務所 濱田誠

はまだ豆ヂカラ社会保険労務士法人 濱田誠

 

【開業までの道のり】

『父の背中』

私の父は井戸掘りを主体とした機械設備業を営んでいました。
私が1歳頃に開業し、その後、ぐんぐんと業績をのばしていったみたいです。

バブル期は営業活動しないのに仕事が舞い込んでくるという今では信じられない程、儲かったと聞いています。

私が学生時代、父は平日ゴルフに行くことも多く、深夜まで酒飲み生活をしていました。
楽しそうに思えて絶対に父の仕事を継ごうと考えていました(笑)

しかし、表向きはお気楽生活に見えた父、実は根っからの営業マン!
のちに母や父の仕事仲間から聞きました。

今思えば私は自営業の父に憧れていたんです。

『経済学を学ぶ』

高校受験はまさに奇跡!
大学受験をしたくないという怠け心から、私立の付属高校を受験することになりました。
しかし、学力不足でなかなか受験校がみつからずとうとう大きな賭けにでました!
私の偏差値と大きくかけ離れた高校へチャレンジです。
担任の先生からは絶対に受からないからやめなさいと言われるほどです(笑)

受験当日のことです。
思いっきり風邪をひき、高熱のままいざチャレンジ。
筆記試験は当然ですが、全く自信が無い解答ばかりでした。

ここからが奇跡の始まりです。
普段ならば面接で緊張してうまく話せないのですが高熱のおかげで緊張感ゼロでの面接は面接官を爆笑させるという楽しいものでした。

爆笑面接が功を奏して見事補欠合格!
私自身が一番びっくりです。補欠でも合格は合格なのです。

両親に早く伝えようと帰宅するとどんよりとした空気。

父は合格発表の掲示板をみて合格者のところに私の番号がないので落ちたと勘違いしていたのです。

この補欠合格が良かったんです。
何が良いのかというと入学時点で同級生は私より学力が高い!
今までほとんど勉強しなかった私が初めて本気で勉強をする気になりました。

高校3年生になると学力は確実に身に付き
念願の大学へ進学することができました。

大学に入学してからは思いっきり遊びましたが、その分、勉強も頑張りました。
経済大学ということもあり、主に経済学を学び経済学の重要性を感じることができました。

大学での学びは社会に出てからの生活に非常に役立っています。

『社会保険労務士になるまで』

大学卒業後、某高級果実専門店に入社しました。
その頃の私は働くという意識が低く、日々の仕事をただこなしていくだけでした。
当然ですが1年で退職。次の就職先をさがすことに。
しかし、ここでの1年間を無駄だとは思っていません。
サービス業の仕事でいろいろな人と出会い、対応力が身に付いたと感じております。

幸い就職活動はスムーズにすすみ、喫煙具を扱う会社の営業マンとして再スタート。
この会社は上司も同僚もいい方で楽しく仕事を覚えることができました。
営業マンの仕事は自分を売り込みモノを売ることだと思います。
私は新規のお客様を獲得することが得意で自社の商品が色々なお店にならび嬉しかったのを覚えています。

この会社にずっと勤めていきたかったのですが、自営業の父が体を壊し私がしばらくの間、父の仕事を手伝うこととなりやむを得ず退職。
1年間くらい手伝いの状態は続きましたが、幸い父の病状が回復しました。
そのまま父の仕事を継ぐことも考えましたが、偶然が重なり社会保険労務士の道を目指すことに。

 

その偶然とは
駅で親友とばったり会うとその親友は税理士を目指し勉強しているとのこと。
私がそのとき思ったのは、また就職活動して新しい会社を探すにしてもいい条件の会社はないであろう。
ならば国家資格を取得し社会復帰した方がこれからの人生が楽しいのでは。

 

すぐさま専門学校の窓口に行き、受付の方に今から受験に間に合う国家資格はなんですか?

と尋ねました。
すると渡されたのが社会保険労務士のパンフレットと申込書です。

何なんだろう?社会保険労務士って?
何もわからないまま社会保険労務士講座を申し込み完了(笑)

ここで高校生のときに身に着けた勉強癖が役に立ったのです。
人生かかってますから本気で勉強しました。
知識ゼロからのスタートなので、まぁやることいっぱい。
朝から夜中まで勉強、また次の日も次の日も毎日です。
でも日に日に力がついていることを自分自身で感じていました。

なんだかんだで真夏の試験日まで一週間というころには、必ず受かるという自信さえありました。

ところがです。なんと試験前日、夜になっても全く寝られないのです。
そのまま朝がきて支度して試験会場に。

結果は本来の力が発揮できず不合格でした。しかも1点足らずに。

そして2回目の試験にむけて再出発することに。
この時点で試験対策は整っていました。
1年目は夜中まで勉強してたので睡眠のバランスが崩れていたのです。

そこで公務員方式に大きく変更。
勉強は朝9時から夕方5時までと決めました。
休憩もこまめにとりストレス発散を心がけるように努めました。

2年目の夏、社会保険労務士試験合格です。想定内です(笑)

『実務経験スタートと今現在』

まずは実務経験を積むため都内の社労士事務所へ就職です。
事務所の所長や先輩方にたくさんのことを教えて頂きました。

実務は試験勉強とは全く違うものです。
顧問先様の入社・退職手続きから給与計算、就業規則作成や助成金申請などなど。

毎日が時間との勝負!
顧問先様を多く担当させて頂きましたので仕事がいっぱい。書類の山。

一分一秒も無駄にしている時間は無かったです。

今でも大切にしていることですが仕事は準備で決まる。仕事は午前中に終わらせる。時間は作るもの。
ということを学ばせてもらいました。

前日の準備は当たり前、かなり先の仕事の準備もしていました。
実務経験を積むのにはうってつけの事務所でした。
今思えば仕事量の多さに感謝です。

自然と仕事を覚えられますし、忘れたくても忘れられない(笑)

6年間勤務社労士を経験させて頂きましたのでもう開業の準備は整いました。

平成21年1月1日、濱田社会保険労務士事務所を開業してから本当に色々なことがありました。
開業当初は手作りパンフレットを持って飛び込み営業。
500社ぐらいは飛び込み営業やポスティングをしたと思います。

嬉しいことに1社ポスティングから電話を頂き顧問契約成立しました。
今でも大切な顧問先様です。

知り合いからのご紹介先や友人の勤務先も顧問契約になったりで徐々にですが、増えていきました。

はじめの転機は先輩社労士に税務関係事務所を紹介してもらったことです。
一気に数社の顧問先様を紹介して頂き、そのあとも定期的にご紹介頂いております。

二つ目の転機は6年間勤めた事務所閉所により、私の事務所近くのお客様を譲って頂きました。いくら感謝しても感謝しきれないです。

こられの転機により今のはまだ豆ヂカラ社会保険労務士法人は存在しています。
今はさらに顧問先様が新しいお客様をご紹介して下さります。

まさに紹介の輪で繋がっています。
理想のカタチです。

これからは紹介の輪を大切にしつつも、時代に見合った集客方法を考え更なる飛躍をしたいと強く思っております。
今は亡き憧れの父のように・・・・・・・