「私からは何も言うことがない」と和尚さんが言ったあまりに神々しい最期。

今から二十年以上前のこと。
友人が言った忘れられない一言があるんです。
「男なら、咲いて散るより散って咲け」


どんな経緯かはよく覚えていないのですが、
聞いた瞬間、しびれました。(か、かっけぇ・・・)


先日、スタッフSさんが
おばあちゃんのお葬式に行った話を聞いて、
改めてこの“名言”がよみがえってきたんですよ。


「顔からが出てたのーーーっ」
(顔から出るのは火だけじゃなかった〜〜?!)

Sさんの興奮とおばあちゃんの魂、
みなさまにもお福分けできれば嬉しいです。

Sさんのおばあちゃまは、大正五年生まれ。
関東大震災を体験し、
じつに一世紀を生ききった女性です。


若いころは魚市場で活発に働き、
詩吟の腕前は9段という師範レベル。
書をたしなみ、
届け物にはいつも手書きのお手紙を添え
亡くなる直前までお元気だったという、
もはや司法試験に受かるよりも難しい「老衰」
数え年104才で穏やかに旅立たれました。


お花を手向けた瞬間、Sさんは驚きました。
顔から光が出ているのかと思うほど、肌がつやっつや!
104才なのに、亡くなってるのに輝いてる!!!
後光がさすってこういうことーーーーっ?!

あまりの神々しさに、
そして100年の時代を生きたということに
和尚さんは言ったそうです。

「私からは何も言うことがありません」

(略)

私自身、亡くなった人をみて、
「輝いてる」と感じた経験が
いまだかつてないかもしれません。
なのでSさんの話はものすごく心を揺さぶりました。
生きざまとか死にざまとか、そんなことを考えました。


命が尽きた後も、自らの姿でもって
強烈なメッセージを残したおばあちゃま。



「魂レベルで」それをしっかりと受け取ってきたSさん、
その日はいつも以上に輝いていました。
そう、まるで生前のおばあちゃまのように。


そしていつも以上に
もりもりバリバリ清々しく仕事に打ち込んでいました。
何かが吹っ切れたかのように。
生まれ変わったかのように。



亡くなることは
「無くなる」ことのように思うけれど、
亡くなることでまた
「与える」こともできる。


それは残された人、
生きていく人への最大の恩返し、
来てくれた人への最大のギフトなのかもしれない。
年明け早々、心が清められました。


一日一日を、今日が最後だと思って。
今日会う人が、これが最後になると思って。
「与える人」となれるよう
なるべくやさぐれずに丁寧に生きようと思います。


みごとに散ってみごとに咲いた
Sさんの偉大なおばあちゃまに
感謝と尊敬を込めて。

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